南朝の枝垂れ桜
先日の釈迦ヶ岳の帰り道、国道168号を五條市へ向けて走っていると・・・
見事な枝垂れ桜を見つけました。
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いままで幾度となく走り抜けてきたこの道。
それでも季節が違ったのか、こんなところにこんな見事な枝垂れ桜があるなんて
全く知りませんでした。
ここは、奈良県五條市の賀名生梅林。
この近くには、南朝三帝の行宮(あんぐう)となったと伝えられている賀名生皇居跡があります。
以下、五條市のHPより。
「足利尊氏に追われた後醍醐天皇は、1336年、京都から吉野に皇居を移す途中、
賀名生にある堀家に滞在。その後も賀名生は南朝のゆかり深い地となります。
1348年には後村上天皇が移り、1383年頃には後亀山天皇がこの行宮に入りました。
そのため、堀家には今も勅賜の日章旗をはじめ、一節切笛、駅鈴などが伝わっています。
また、賀名生皇居跡の藁葺門には、天誅組の参謀であった吉村寅太郎が書いた
「賀名生皇居跡」の扁額が掲げられています。
賀名生皇居跡を見下ろす小高い丘には、北畠親房の墳墓があります。
親房は公家出身の武将で、南朝の中心人物として活躍。南朝と運命を共にし、
1354年に没しています。
ようやく南北朝が合一されたのは、尊氏の孫の義満が将軍になってからのこと。
1392年、南朝の後亀山天皇は義満の呼びかけに応えて京都に還幸されました。
それから600年有余年。今も賀名生の地は南北朝時代の面影を漂わせ、
多くの人々がその足跡を訪ねています。 」
そうなんですね。この地は歴史的に見て、日本史上初めて半世紀以上もの
動乱期となった南北朝時代の舞台だったんです。
そんな皇居跡には、見事な枝垂れ桜がちょうど見ごろをまもなく迎え頃。
萱葺き屋根の建物がいにしえの日本の情景を連想させてくれます。
こちらも春色満開!!
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